Browsed by
作者別: 日本共産党かつらぎ町議団

四郷480号沿地域振興交流施設の指定管理、議案上程

四郷480号沿地域振興交流施設の指定管理、議案上程


経過及び事業と収支の計画ずさんすぎるその内容
見過ごせない問題山積

6月6日、6月会議が開かれ、国道480号沿いの地域振興交流施設(以下物産販売所)について、セイコーグループに指定管理を行う議案が上程され、提案説明が行われました。
物産販売所は、四郷広口の480号に沿って現在建設中の複合施設で、物産販売とレストラン、パン工房、加工体験施設、イベント広場を併せもった施設です。この施設は、「本町の農林水産物及び地域特産品の販売及び紹介、加工体験、地域食材の提供並びに地域情報の提供を行い、都市と農村の交流を促進するとともに、農林水産物の6次化を推進し、産業の振興及び地域の活性化を図ることを目的として設置」(指定管理募集要綱)されるものです。
この議案には、見過ごすことのできない問題があります。

プレゼンの後事務がストップ

一つは、指定管理の候補決定に至る経過が異常だということです。
指定管理の募集は平成27年5月21日〜7月9日まで行われ、これに応募したのは「セイコーグループ」(代表:今田政行氏)一社でした。職員による選定委員会の第一次審査が7月9日〜7月15日まで行われ、16日には選定委員会による第1回プレゼンテーションが実施されています。
しかし、このプレゼンテーション以降事務が止まり、9月会議に議案を上程できませんでした。
事務は、平成28年2月28日まで7か月間止まりました。
今年の3月9日に第2回選定委員会が開かれ、3月14日にようやく指定管理候補として決定しています。3月14日の候補者決定後も事務が進められず、町がセイコーグループに連絡したのは4月以降でした。

ずさんな事業計画 

問題の二つ目は、事業計画書のずさんさにあります。
今回の指定管理は、物産販売とパン工房、レストラン、加工体験施設という大がかりなものです。町は、それぞれの店舗を個別に業務委託するという方法を採用せず一括管理させたので、指定管理者には高い経営能力が問われました。
しかし、参加したのは小規模な経営体であるセイコーグループだけでした。この会社は、食料品製造業や各種商品小売業、飲食店の経営などを事業としていますが、平成26年の総収入は5669万3124円、総支出は5597万17円で利益は72万3107円という状況でした。
セイコーグループは、パン工房とレストランを他の業者に再委託するようですが、パン工房と加工体験施設については事業計画がなく、公募の要件を満たしていません。

おかしな収支計画

問題の三つ目は、収支計画書にあります。
収支計画書には、物産販売とパン工房、レストラン、加工体験施設の収支計画が記載されています。加工体験施設では、初年度259万2000円の事業収入があり、平成33年にはそれが432万円になるとしています。事業計画がないのに収支計画があるということです。架空の計画の可能性さえあります。
収支計画書には町への家賃に当たる「使用料」について書いています。使用料は、平成28年度〜平成31年度の4年間は年360万円、32年〜33年は年420万円となっています。360万円については、委託するパン工房とレストランが180万円ずつ負担します。セイコーグループは、物産販売の家賃は小さくし、再委託するお店には大きな負担をかけようとしています。
町の事務の遅れによってプレオープンが28年10月、グランドオープンが29年4月となりました。オープンが6か月ずれたのに、収支計画は見直されていません。また家賃は役場の計算違いがあり、360万円から最終435万円に変更されましたが、この訂正もなされていません。

公募のやり直しを

このようなずさんな計画の議案を可決したら議会も無責任だという批判を受けるのではないでしょうか。480号沿いの物産販売所は、井本町長の最大の公約の一つでした。かつらぎ町の命運のかかった事業をこんなずさんな形でスタートさせてはなりません。日本共産党町議団は、公募からやり直すことを求め、議案審議にのぞみます。

父と母が生きた戦争の時代

父と母が生きた戦争の時代


戦後70年、平和への思いを新たにしている方も多いと思います。戦争か平和か、自衛隊を海外の戦争に参加させる安全保障法制が国会で審議されています。日本共産党の2人の議員は、平和への思いを手記にしました。お読みいただければ幸いです。

父と母が生きた戦争の時代

父が生きていたら97歳、母が生きていたら90歳だと思う。両親は2人とも戦争をさまざまな形で体験してきた世代だった。父は中国戦線で斥候という任務に就いていた。斥候というのは偵察隊のことだ。
「何人中国人を殺したか分からない。女も子どもも」
父は生前、そう語っていたという。戦争が終わったとき20歳だった母には許嫁がいたが、こちらは終戦間際に沖縄の海で戦死している。
美里町長谷宮、戦後ここで父と母は出会い、結婚した。父は土木作業員、母は小学校の教員だった。一家は母が新城小学校に転勤になったことを機に新城に家を借りて引っ越しした。
雨が降ると土木作業員には仕事がない。雨の降る日、父が薄暗い部屋で酒を飲み、軍歌を歌っていた記憶がある。父の歌う「麦と兵隊」は物悲しかった。
「『すまぬすまぬ』を背中に聞けば、『馬鹿を云うな』とまたすすむ」
記憶は雨と重なっている。兄弟3人は部屋の隅で固まっておびえていた。機嫌が悪いと茶碗を投げつけたり、母に暴力を振るう父の記憶にも雨が絡みついている。
父は、酒で体を壊し長い間入院した。小学校1年生になった6月、退院してきた父は、酒を飲みに外に出て、夜中に帰ってきて、大いびきをかいてそのまま死んでしまった。脳溢血だった。戦争が終わって21年が経とうとしていた。荒々しい暴力親父。父の暴力には、戦争が染み込んでいた。酒を飲み暴れても振り払うことのできなかった父の体験とは何だったのだろうか。

戦争反対への思い
戦争に反対し主権在民を貫いた日本共産党の存在を知ったのは、高校3年生のときだった。高校を卒業した3月に日本共産党に入党し、歴史を学び、戦争や原爆のことなどを知るたびに、父や母が生きた時代への思いが深くなった。戦争反対を思うとき、胸の中には父や母のことが重なってくる。

決意を言葉に
戦争をしないはずの日本で、戦争反対の運動に取り組まなければならなくなった。「戦争なんて起こらないよ」という言葉の裏で戦争が準備されている。安全保障法案や自衛隊の具体的な作戦を調べていくと戦争準備の事実が吹き出してくる。法案に反対している人々が、法案の中身を語り、可決したい人々が法案の中身をごまかしている。
日本国憲法を守ることは、平和を守るひとすじの道。憲法は70年近く経っても新しい。真理は古くならない。戦争しない国のまま戦後がずっと続きますように。祈りを胸に決意を言葉に。

わだつみ像と姉の死

わだつみ像と姉の死


戦後70年、平和への思いを新たにしている方も多いと思います。戦争か平和か、自衛隊を海外の戦争に参加させる安全保障法制が国会で審議されています。日本共産党の2人の議員は、平和への思いを手記にしました。お読みいただければ幸いです。

わだつみ像と姉の死

私はもうすぐ65歳になる。世間でいう前期高齢者である。この年齢になると体力の衰えとともに気力の衰えも感じる今日この頃である。しかし、今年の夏は、そんなことを吹き飛ばす〝出来事〟が日本全国で繰り広げられている。安全保障法制関連法案=戦争法案反対の運動だ。
私の人生の中で経験したことのない歴史的運動だ……。戦争体験者をはじめ、中高年、大学生、高校生までも、さらには子育てママたち、大学教授、弁護士等、まさに列島騒然のムーブメントが暑い夏を一層熱くしている。

きけわだつみのこえ
私は今、45年前の自分をふり返っている。私は1970年、文学を志して立命館大学に入学した。理由は学費が安かったからだ。確か授業料が年間9万6000円だったと思う。理由はそれだけではない。当時、全国ではめずらしい〝平和と民主主義〟を教学理念としてかかげていたことに惹かれたことにもある。この平和と民主主義を象徴するのが「わだつみ像」である。「わだつみ」とは、「海をつかさどる神」のことである。1949年全国の戦没学生の手記「きけ わだつみのこえ」が発行され、その収入を基金に、彫刻家本郷新氏によって〝戦没学生記念像〟=わだつみ像が作成された。しかし、像の設置を東京大学が拒否、その後1953年12月8日、立命館大学(末川博総長)が受け入れ、当時の広小路キャンパス(私が学んだ文学部があった)に設置することになったのである。東大が受け入れを拒否した背景には、日本を占領していた連合軍の意向があったといわれている。
私は、このわだつみ像の建立から受け入れまでの一連の経過でもわかるように、学徒出陣で無謀な侵略戦争に狩り出され戦死した諸先輩の無念を思うと胸が痛い。まさに学問は、平和と民主主義のためにあるものだと深く心に刻んだ。

議員としての原点
時が流れ45年が経った現在、平和と民主主義を学んだ貴重な学生時代にたくさんの〝宝物〟を自分の人生の糧にしてきた。それが、私が日本共産党員として生きることの選択だった。私の政治家としての原点である。
39歳で町議会議員になり、25年目の夏を迎えた。戦後70年の節目の年に改めて思う。私は、かつらぎ町の若者を殺し殺される戦場へ行かせるようにする戦争法案に、かつらぎ町に生まれ育った町民の代表のひとりとして、絶対に手を貸さないことを誓う。

姉の死
私は、4人姉弟の末っ子。ほんとうは、5人だった。私が生まれる以前に長女が亡くなっていた。妹を連れての買い物帰りに〝進駐軍〟のジープに轢かれて死んだそうだ。この話は、私が大人になって叔母からはじめて聞いた。この事実について両親は、生前私に一言もしゃべらなかった。さぞ無念だったと思う。
育代(合掌)

歴史に学べ

歴史に学べ


本町の土地開発公社のほとんどの用地は、溝端町長時代に購入されたもの。用地の中には購入直後から焦げ付いたものもあった。しかし、本町はこの事実を指摘しない。なぜ17億円以上の経営破綻が発生したのかという問いにも答えない。結局債務の返済は町民の納めた税金で行われる▼全ての物事には歴史がある。歴史は確定した事実で構成されている。何が事実だったのかを見極めるのは、少し難しいけれど、四方八方に動いている現代を把握するよりもやさしい。歴史を見れば、見えなかった問題も明らかになるし、現代を読み解き、未来を展望する力にもなる▼かつらぎ町は、歴史をふり返り事実を認める力が弱いし誤魔化しもある。小さな田舎町なのに官僚的な答弁もわりと多い。自治体には予算と権力がある。権力を持つところが誤魔化すと責任はあいまいになる。歴史に学ばないと未来は暗い。率直に事実を語らないと「住民こそ主人公」という町にはならない。

かつらぎ町の「基本構想」と「基本計画」(上)

かつらぎ町の「基本構想」と「基本計画」(上)


歴史的な経過から浮き彫りになるかつらぎ町にとっての「長期総合計画」

「第4次基本構想」と「基本計画」が6月会議で全員賛成で可決しました。日本共産党は、初めて賛成しました。新しいまちづくりが、長期総合計画に基づいて取り組まれるよう、歴史的な経過をふり返ってみます。

sougoukeikaku-rekisi

1969年の地方自治法の改正によって、総合計画の策定が自治体に義務づけられたことを受けて、本町は1970年に「長期総合計画基本構想」(15年計画、中谷政夫町長)を策定しています。
当時、地方自治法第2条第4項は、「市町村は、その事務を処理するに当たっては、議会の議決を経てその地域における総合的かつ計画的な行政の運営を図るための基本構想を定め、これに即して行うようにしなければならない。」と規定してました。基本構想が議会の議決を必要とした根拠はここにありました。おおむね10年間の「基本構想」を土台として、5年程度の「基本計画」が作られ、3年程度の「実施計画」が作られます。この「基本構想」、「基本計画」、「実施計画」の3本が「長期総合計画」の内容となります。ただし、本町は実施計画については、一度も策定したことはありません。
1970年の「基本構想」に「基本計画」があったかどうかは分かりませんでした。なかった可能性もあります。

開発を実行した「第2次基本構想」

「第2次基本構想」を策定したのは16年後の1986年です(15年計画)。策定した町長は、溝端康雄氏でした。「第2次基本構想」は人口3万人を目標に「七つの里構想」を打ち出したもので、企業誘致と住宅開発を推進する根拠となりました。
「基本計画」(11年計画)を策定したのは4年後の1990年です。
溝端町長は、「長期総合計画」を根拠に開発計画を実行しました。ここには、町長の強い意志が働いていました。しかし、計画の多くは破綻し、住民の批判が高まりました。
町長選挙で南衞氏が溝端康雄氏と争い、当選したのは1995年10月です。南町長は、1997年10月に「基本計画」(3年計画)を策定しました。溝端町長が策定した1990年策定の「基本計画」と南町長が1995年に策定した「基本計画」の期間は重なっています。
南町長の「基本計画」は、計画の見直しという性格を持っていますが、破綻した「七つの里構想」を引き継いだのは、明らかでした。

まちづくりの力をもたなかった「第3次基本構想」

「第3次基本構想」(10年計画)の策定は2003年7月です。86年の「第2次基本構想」から17年が経過していました。この「基本構想」は、「七つの里構想」を整備・充実させると言いつつ、住宅開発と企業誘致を軸にしたまちづくりからの転換を図ったもので、目標人口は2万3000人となりました。「基本計画」(8年計画)の策定は2005年3月です。
「基本構想」の策定は南衞氏、「基本計画」の策定は山本惠章氏となり、「基本計画」策定の7か月後には花園村との合併が行われました。
この「基本構想」と「基本計画」は、合併した花園地域を除いたおかしなものになりました。財政的に大きな影響を与えた合併をふまえない「第3次基本構想」と「基本計画」は、まちづくりへの力を持たないものでした。

絵に描いた餅からの転換を

本町の「基本構想」と「基本計画」の歴史は何を物語っているでしょうか。
異色だった溝端町長時代を除き、本町の「長期総合計画」は「仏作って魂入れず」という感じの代物でした。コンサルタントに計画案を委託し、策定後は棚上げ状態だったと言えます。
今回の「第4次基本構想」と「基本計画」(いずれも10年計画)は同時に策定されました。今回の計画は、今までとは違うものになりました。
(つづく)

かつらぎ町土地開発公社の解散について(2)

かつらぎ町土地開発公社の解散について(2)


経営破綻につぎ込まれる
税金は17億3099万円超

町は破綻の原因を明らかにせず
経営責任は誰も取っていない

破綻の原因は
300万坪の
開発計画

かつらぎ町の土地開発公社(以下「公社」という)は、「公有地の拡大の推進に関する法律」に基づいて、昭和50年(1975年)に設立されました。溝端康雄氏が町長に就任する以前、「公社」が購入した用地で塩漬けになったのは、萩原前嶋用地と萩原住宅用地の2つです。それ以外の用地で、今日まで残っているものは、すべて溝端町長時代に先行取得事業と土地造成事業によって購入されたものです。
どうして、一人の町長の時代に「公社」の用地取得が集中したのでしょうか。
溝端町長は、町の人口を3万人に増やす「長期総合計画基本構想」(昭和61年)と「基本計画」(平成2年)を作り、北部地域を中心に住宅開発と企業誘致をおこなうとともに、大規模な霊園の拡張計画を実行に移そうとしました。当時この開発は、300万坪の開発構想と呼ばれました。
地価高騰を引き金にバブルが起こると用地購入に拍車がかりました。
先週、成功した事例を紹介しました。しかし、同時多発的に購入した多くの用地は、最初から困難を抱えました。中飯降の東光台団地、広浦の住宅開発など、経費をつぎ込んで立ち消えた計画もありました。
町の「公社」関係の文書には、溝端町長時代の用地購入問題を具体的に指摘しているものはありません。「バブル経済の崩壊以降は、町の厳しい財政状況による再取得の遅れ等による借入金利負担の累増と地価の下落により、帳簿価格の上昇と実勢価格とのかい離が非常に大きくなり、ますます処分が進まず土地開発公社の経営を圧迫することになりました」(「土地開発公社解散プラン」)──このような表現は、経営責任と事実経過を隠すものです。

「公社」の破綻に
つぎ込まれた税金

kousya-zeikintounyu町は、平成19年に12月に「土地開発公社健全化計画」を立て「公社」の債務超過を解決するために税金を投入するようになりました。
町が重い腰を上げたのは、平成19年6月に公布された「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」によって、「公社」の債務が地方自治体の会計に直接影響が出るようになったからです。
平成21年度、「公社」の経理基準の一部改正が行われ、完成土地等の評価替えが行われました。これによって土地の評価損が発生し、特別損失2億1373万円が生じました。また同年度に妙寺北部企業用地の売却損9億2538万円が生じ、債務超過が明るみになりました。
上の表は、健全化計画に基づいて平成19年度から平成25年度の7年間につぎ込んだ税金を表したものです。
内容は①町が買い戻した用地代(3億4999万5000円)と②町の補助金(1億8900万円)に分かれます。町の補助金というのは、債務超過になっている「公社」への損失補てんです。7年間で5億3899万5000円の税金がつぎ込まれたことになります。

町が国の起債を
利用して
解散を決意

今年の3月、町は、「土地開発公社解散プラン」を作成し、第三セクター等改革推進債(以下「第三セクター債」という)を活用して、「公社」を解散させるプランを立てました。
5月16日に開かれた議会では、「公社」を解散する議案と「第三セクター債」11億9200万円を活用する補正予算が提出され、議会は全員一致でこれらを可決しました。
「第三セクター債」は、「公社」の債務を町が代位弁済(2億5200万円)し、かつ欠損金補填(9億4000万円)を行うものです。この起債の返済は、町民が納めた税金によってまかなわれます。平成19年度からこの「第三セクター債」活用までにつぎ込まれた税金は、17億3099万円にのぼります。この金額は、25年度の町税収入の80・8%にあたります。
和歌山県内でも町の「公社」の経営実態は最もひどい状況にありました。「公社」の理事長は町長であり、町長が、反対しない理事の合意を得て用地を買いあさった結果、これだけの破綻を生み出しました。この問題を当時から破綻すると言って追及したのは日本共産党町議団だけです。
意思決定を行った理事会は、何の責任も取っていません。また、「公社」問題の破綻を町は公式には認めていません。
「住民が非常に大きな債務を負担せざるを得ないことについては、お詫び申し上げます」
これが5月議会での井本町長の答弁でした。町財政を破綻させないという点で、責任を果たしていると評価できるでしょうか。(おわり)

1年数か月ぶりの「清流」

1年数か月ぶりの「清流」


1年数か月ぶりの「清流」となりました。長い間、発行が滞ってしまいました。住民のみなさんに伝えるべき問題を、伝えてこなかったと思います。「清流」は「赤旗」読者に読んでいただくものですが、このニュースが生み出したインパクトは、小さなものではなかったと思います。再スタートのために「土地開発公社」問題を選びました。この問題は、町財政の最大の問題です▼7月21日投票の参議院選挙で日本共産党は、改選3議席が8議席になり、非改選と合わせ11議席になりました。比例で5議席、選挙区で3議席を獲得しました。議案提出権を獲得したので、力が大きくなりました。かつらぎ町の選挙区の得票は1466票(15・81%)、比例代表は916票(9・94%)で自民、公明、維新、共産という順位になって民主党を上回りました▼日本共産党は、どんな問題でも対案を示しています。自民党に真正面から向きあう政党として暮らしを守ってがんばります。

かつらぎ町土地開発公社の解散について(1)

かつらぎ町土地開発公社の解散について(1)


経営破綻は明らか
残された用地のほとんどは塩漬け土地

欠損金だけでも8億7300万円
公有地取得と土地造成事業の両方で焦げ付き

5月16日に開かれた5月会議は、「土地開発公社」の解散議案とそれに伴う予算案を全議員の賛成で可決しました。解散という節目に当たって、改めて何が問題だったのかを整理します。

町の「土地開発公社」(以下「公社」という)の債務は、保有土地の全てを売却しても債務を返済できない状態に陥っています。
kessonkin6月会議に提出された24年度決算資料を見てみましょう。
資産を表す貸借対照表によると資産合計は、4億5689万3706円、この内、公有地取得事業の公用地と土地造成事業の完成用地の合計は、4億424万9564円となっています。
負債の部内容である負債合計13億2511万円の大半は、借入金です。欠損金だけで8億7321万6775円にのぼります。
zanti13公有地取得事業と土地造成事業の用地をすべて売却しても債務を解消できないのは一目瞭然です。用地の資産価値は、帳簿上4億424万円となっていますが、公有用地は、すべて町が買い戻す必要があるもので町の借金と同じです。
土地造成事業の完成用地の内、売却の可能性があるのは、柏木企業用地と柏木住宅用地程度です。ほとんどの資産は、販売のメドが立たない代物です。左が現在の保有資産の一覧表です。この表は、現時点での塩漬け土地の一覧であり、破綻を端的に表していると言っていいでしょう。

最大の損失は
妙寺北部企業団地
の事業で発生

「公社」の事業は、「公有地の拡大の推進に関する法律」に根拠をもつもので、(1)公有地の先行取得事業、(2)土地造成事業の2つに分かれます。
公有地の先行取得事業は、町の命令によって公共事業用地を先行取得するものです。バブル経済の時代は、地価が年々高騰していたので、先に用地を取得することによって購入費を安く抑えていました。
土地造成事業は、「公社」の独自事業で企業誘致や住宅開発を行うものです。
用地の先行取得と土地造成で全てが破綻した訳ではありません。公共事業の先行取得でも事業化されたものはあるし、土地造成事業でも、柿の木団地と丁ノ町住宅用地の住宅分譲、大谷と西渋田、移、名山での企業誘致などは成功しました。
土地造成事業の中で最大の事業は、妙寺北部企業用地であり、最大の事業損失はここから発生しました。この用地には現在、椎茸菌床栽培施設とあんぽ柿施設、アメニティかつらぎ、JA選果場がありますが、誘致等の事業を行って生じた損失は、9億2540万円に上ります。

「公社」の破綻処理にはすでに多額の税金がつぎ込まれてきました。
次回は、(1)破綻の原因、(2)今日までにつぎ込まれた税金、(3)解散に当たってどれだけ費用が必要なのかを明らかにしたいと思います。(つづく)

従軍慰安婦問題についての決議案否決の経過

従軍慰安婦問題についての決議案否決の経過


「公党の代表である橋下氏の『従軍慰安婦に関する発言』に対する謝罪と撤回を求める決議(案)」を巡る経過を紹介します。(文責 東芝弘明)

この決議案は、全員賛成で決議を上げたいという思いがあったので、福岡議員とも相談して、厚生文教常任委員会に福岡議員から決議案を提出してもらいました。決議案としたのは、橋下徹氏が、公職としては大阪市長なので意見書には馴染まないという判断があったからです。
議会における決議というのは、議会が具体的な課題に対して議会の意思を表明するというものです。拘束力としては、議会による態度表明に留まります。しかし、それは、ホットな問題に対する態度を表明することで、町民に議会の意思をアピールするという意味をもちます。

橋下氏の従軍慰安婦問題の発言について、国に意見書を提出することもできます。その際は、国連の「人権条約に基づく拷問禁止委員会」の日本政府に対する勧告が参考になるでしょう。日本政府は、拷問禁止条約を守る立場に立って、歴史を修正し元慰安婦の方々に対して心的外傷を与え続けていることに反論し、適切な措置を講じることを求めればいいのです。

私たちは、今回、意見書ではなく決議案の可決をめざしました。委員会に提出した決議案は、「維新の会の共同代表である橋下徹大阪市長」と書いていました。この決議案に対して、保守系であるA議員は、「一自治体の市長である橋下氏に対して意見を述べるべきではない」と言って反対しました。私は、この意見に対して、橋下氏による5月13日の記者会見の状況を紹介しました。従軍慰安婦についての発言は、記者が村山談話についての見解を維新の会の代表である橋下氏に求めた中で行われたものです。安倍首相が村山談話の見直しに言及し、侵略戦争の定義は定まっていないという発言をしていたことが、国政の一つの焦点になっていたので、維新の会の共同代表にも見解を求めたというのが、事実経過です。

かつらぎ町議会でこのような議論が起こる背景には、議会の権限がどこまで及ぶのかという守備範囲の問題があります。今回の橋下氏の発言は、事実経過によって、疑問の余地のないものだったので、保守系議員の議論は、事実経過を踏まえない一般論であり、決議と意見書の性格の違いを踏まえていないものだったと思います。

このような経過があったので、本会議に議員提案した決議案には、事実経過を明らかにするために、また保守系議員にも同意してもらえるように大阪市長という肩書きを外した書き方にしました。かつらぎ町議会の状況では、大阪市長という肩書きを入れると、それを理由に合意が形成できないのは、議論の経過から明らかでした。
議会には、さまざまな状況があります。ときには、事実を踏まえない独特の議論が展開されることもあります。事実を確認して、事実を踏まえた議論を私は大切にしています。事実の持つ力によって、議論を組み立て、第三者が聞いていてもよくわかるように心がけていますが、保守系議員の方々が、結論を決めて議論に臨んだときは、議会外から見るときわめておかしな議論が数の力で堂々とまかり通るケースも生まれます。

経過から見て、私たちの議論の組み立てが間違っていたとは思いません。
決議案は、女性の人権を踏みにじる一点に集中して、公党の代表である橋下氏に謝罪と発言の撤回を求めるものになっています。従軍慰安婦の歴史的な評価にも全くふれず、橋下市長に対しては公職からの辞任を求めることもしていません。それは、かつらぎ町議会の保守系議員の動向を踏まえて、一致点を見出す努力だったと思っています。

今回、保守系議員の方々は、「個人的には橋下氏の発言には怒りを感じる」とも語りました。しかし、同時に本会議場でおこなわれた保守系議員の反対討論は、公党の共同代表である橋下氏を批判するのは、公党に対する介入であり越権行為だというものであり、反対の理由はここにありました。ここまでくると、何が何でもこの決議案には反対するという意志を感じざるをえません。

私は、賛成討論では、問われている問題を全面的に明らかにするという観点に立って賛成討論を致しました。この時点では否決されることは明らかだったので、絞り込まれた決議案の立場よりも広くことの本質を明らかにするものにしました。

保守系議員の方々が、決議案に反対した背景には、安倍首相が、一貫して橋下氏の従軍慰安婦の発言に対して、コメントを差し控え、国連の「人権条約に基づく拷問禁止委員会」の勧告に対して対応しないという態度を取っている問題があると思います。自民党総裁である安倍首相が、明確な態度をとっていれば、この決議案は否決されなかったと思います。

私は、従軍慰安婦問題で日本政府がとっている態度の問題が極めて大きいことを改めて感じました。

橋下氏の「従軍慰安婦に関する発言」に対する決議賛成討論

橋下氏の「従軍慰安婦に関する発言」に対する決議賛成討論


公党の代表である橋下氏の「従軍慰安婦に関する発言」に対する
謝罪と撤回を求める決議に対する賛成討論

この決議は、6月25日の本会議で3対8で否決されました。

2013年6月25日

公党の代表である橋下氏の「従軍慰安婦に関する発言」に対する謝罪と撤回を求める決議に対する賛成討論を行います。
橋下徹氏は、5月13日の午前中に行われた記者会見で、従軍慰安婦問題について「あれだけ銃弾の雨、銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときにね、それはそんな猛者集団といいますか、精神的にも高ぶっている集団はやっぱりどこかでね、まあ休息じゃないけれどもそういうことをさせてあげようと思ったら慰安婦制度っていうものは必要なのはこれは誰だってわかるわけです」と発言しました。この発言は、国内外から強い批判が起こっていますが、氏は今日もなお、自己の発言を撤回せず、謝罪もしないという異常な態度をとっています。

この問題については、5月31日、ついに国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会から日本政府に対する勧告が出されました。この勧告は、「公人による事実の否定、否定の繰り返しによって、再び被害者に心的外傷を与える意図に反論すること」を求めています。勧告は、日本政府が拷問禁止条約の義務を果たしていないと懸念を表明し、「被害者への適切な救済・名誉回復をしていない」「拷問行為の加害者を追訴し裁判にかけていない」「国政および地方の高官や国会議員を含む政治家が、本件事実を公に否定し、被害者に新たな心的外傷を与え続けている」と問題点を指摘しています。その上で、勧告は、「即時かつ効果的な立法的・行政的措置をとるよう」求めています。国連の拷問禁止委員会は、非人道的な取り扱いを禁止する条約を守っているかどうかを審査・勧告する国際人権機関です。

この勧告は極めて重い意味をもつものだと確信します。
ところが、この勧告に対して日本政府は、6月18日、「勧告に従うことを義務づけるものではない」として、勧告には対応しないことを明らかにしました。これによって、日本政府は、橋下徹氏の発言を事実上擁護する立場に立ったと見られても仕方のない状態になりました。

従軍慰安婦問題は、橋下氏が認めているとおり、日本軍が深く関与した制度です。問題は、氏が戦争を肯定し、その上に立って「慰安婦制度っていうものは必要なのは誰だってわかる」と語ったところにあります。
従軍慰安婦になった多くの女性の中には、10代半ばから後半の女性がかなりいました。慰安婦になったプロセスの中に強制連行があったことは、軍の資料でも確認できます。最近、政府はこの資料の存在を認めました。慰安婦は逃げることも許されない性奴隷だったことも明らかであり、暴行、虐待、性病、妊娠、出産、中絶などひどい状態におかれていましたが、日本軍が敗北していく中で、殺害されたり置き去りにされたりしました。
軍関係の多くの資料は焼却されました。資料を消滅させたのは、軍があるところに慰安所を作り、女性を戦場で性的に利用してきたことが、人道に反する恥ずべき行為であることを日本軍が自覚していたからです。
日本軍ほど大規模に慰安所を持っていた軍隊はありません。軍隊が慰安所を持っていた例は、ヒットラードイツにありますが、日本の慰安所は、はるかにその規模を上回ります。

従軍慰安婦の問題を正確に深くとらえるとともに、この問題を考えることは、侵略戦争とは何かを考える上で極めて重要なものになっています。
橋下徹氏は、公党の共同代表であり、日本の国政に深い責任を負っています。氏の慰安婦問題の発言を擁護することは、日本を世界から孤立させるものになり、戦後の世界の出発点、戦後の原点を否定するものになります。
歴史的事実の否定によって元慰安婦の方々に心的外傷を与え、人権を著しく踏みにじるものであり、あの日本が引き起こした戦争を肯定し、慰安婦制度を必要だったというのは、全世界の女性の人権及び男性の人権をも踏みにじるものだといわなければなりません。

6月議会や6月会議が全国で開かれています。この問題で少なくない議会が、発言の撤回と謝罪を求める決議を上げつつあります。海外からは、大阪市の姉妹都市であるサンフランシスコ市が、発言の撤回を求める決議を上げました。
私たちかつらぎ町議会は、当時慰安婦が必要だった、誰だってわかるという立場に立つべきではありません。この決議案に反対する議員がいれば、その方は限りなく橋下氏と同じ立場に立つことになってしまいます。私は議会の名において明確に態度を表明することが必要になっていることを心から訴えるものです。
従軍慰安婦問題で、歴史の事実を次の世代に正しく伝えることは、私たち大人の責任です。「過去に目を閉ざすものは、未来に対して盲目になる」という言葉があります。全世界は、従軍慰安婦問題で歴史を修正することを許しません。この問題は、学術的には評価が定まっています。高校の教科書は、この成果の上に立って歴史を正しく伝えています。
私は、歴史を正しく伝えることが平和な日本をつくる重要な力になると確信します。子どもたちの教育のためにも、橋下氏には謝罪と撤回を求めるべきだということを最後に訴えて私の賛成討論といたします。