川上村視察報告


川上村視察報告

 

 

一. 研修日時及び研修先
日時:平成22年10月22日  午前9時00分〜11時20分
視察先:長野県川上村
東芝 弘明

一. 研修を受けての所感

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川上村は、長野県の中部の東側の最南端にあり、千曲川の源流の村です。
この村は、レタス(出荷量の50%)と白菜(出荷量の37%)を中心に野菜を作っており、レタスの生産は、最盛期では全国シェアの70%となっています。平成20年の野菜の総取引高は134億3,534万円、その内レタスは75億5,848万円(56%)を占めました。農家の平均年収が、2500万円を超えた年もありました。
農家戸数は600戸で一軒当たりの労働力は、家族4人に中国からの研修生2人、日本人のアルバイト1人の7人程度となっています。農業後継者の平均年齢は29歳です。後継者問題はなく、遊休農地もありません。レタスの出荷は6月下旬から9月末までです(今年は10月にずれ込みました)。この時期、農家は、深夜1時に起床し早朝出荷を行っており、村ではこの時期を120日戦争だと言っています。就寝は7時だという話でした。
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川上村は、元々は豊かな村ではありませんでした。この村は、役場のある中心地で標高が1,185メートルもあり、冬場はマイナス20度近くになる寒冷地です。朝鮮戦争までは、細々と穀物を細々つくる程度で貧しく、出稼ぎが多かったということです。戦前、長野県は、満州への開拓団としての移住が最も多かった県であり、川上村もその一つでした。
1950年から1953年まで続いた朝鮮戦争の時に米軍の指示によって、レタスを生産するようになり、戦争後、山林を切り拓く開拓を積極的におこなって、日本一のレタスの産地となりました。貧しかった村にも戦後引揚者が増え、村の人口は一時期、6000人ほどになりました。朝鮮戦争後の山林の開拓は、この時期に行われたようです。
村には3つの農協があり、この3農協と連携して村が積極的に農業振興をおこない、販売促進のコマーシャルやプロ野球球場でのレタスの無料配布、村の自主事業としてのレタスの海外輸出などを行っています。
平成4年か5年頃から現村長は、農業振興を成功させるためには、医療・福祉・介護・教育・文化環境の向上を図る必要があるとして、農業振興とともに住みよい村づくりをおこなってきました。24時間オープンの図書館、村民の使用料は無料という文化センター、お年寄りには無料の公衆浴場、同じく無料の巡回バス、高校を卒業するまで医療費が無料などの施策が行われています。その結果、長野県内で1人あたりの医療費が最も安い村になっています。視察の中で村長は、「収入には限界があるが、人間の欲望には限界がない。収入を向上させる産業振興だけではうまくいかない。医療・福祉・介護・教育・文化の充実を図って要求に応える村づくりをめざしてきた」と説明しました。

一. 本町に照らした所見

深刻な危機を長年の開拓を通じて克服し、レタスの生産日本一となった川上村は、朝鮮戦争後、村の人口が引き上げ者で6000人に増えた中で行われました。平均年齢が若い時代に、危機的な状況から立ち上がった川上村は、レタスの生産に村の存亡をかけました。話を聞いていると、かつらぎ町の農家の平均年齢が高いこと、農業後継者がなく、廃農や耕作放棄地が年々拡大していることが浮かび、「もう手遅れか」という気持ちになりました。わが町は、気候が温暖で、多品目のフルーツがとれる町です。北の山に隔たれているとはいえ、大阪が通勤圏内です。これらは、恵まれた条件だといえますが、それだけに危機感が希薄だったといえるのではないでしょうか。川上村と比較すると、農業の衰退をくい止めなかったわが町の危機は深刻です。本町で農業を再興するためには、農家の所得の向上を追求しながら、農業後継者づくりと農産物の加工・販売などで活路をひらく必要があります。困難は山積していますが、あきらめたらおしまいです。
川上村の医療・福祉・介護・教育・文化についての施策は、本町と比べるとユートピアのように感じましたが、住みよい町をつくるためには、これらの施策の充実がどうしても必要です。「かつらぎ町ユートピア計画」なるものをめざしましょう。

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